No.56387 原発事故で避難したアルツハイマーを患っている義母の介護について

発言者:じゅりあ 発言日:2013/12/29 00:30 返信する 応答をメールで転送

義母は、5年前からアルツハイマーです。福島県南相馬市に住んでいましたが、ままならず、行ったり来たりをしていました。こちらは横浜です。そうしている間に、震災が起こり、原発事故の影響で帰れなくなりました。
遅れましたが、ワタシは、長男の嫁です。
今は帰宅できますので、盆、暮れ、春夏のお彼岸、GW、夏休みはみんなで一緒に帰宅していましたが、その間に、アルツハイマーがどんどん進み、現在は、医師からも「一人ではもう暮らせない」と云われています。義母は、長く静岡に住んでいましたが、今は亡き義父が定年してから、故郷の福島に帰り、20年近く暮らしていました。アルツハイマーを患った人は、多分、本来はその地で介護するのが基本なのかもしれません。でも、南相馬市原町区は放射能の影響もあり、殆どの人が避難しています。親戚も皆避難し、介護する人はいませんし、私たちが横浜の地を引き払って、向こうで一緒に住むことはできません。結果、本来なら長男の家で介護するのが基本、と以前、義母は話していましたが、色々ありまして、義姉の家に住んでいます。
長々と書きましたが、困っているのは、義母が1日に何十回と「原町に帰りたい」と泣き、激昂し、荷物をまとめて出て行ったりすることです。最近は、義姉の事も分からなくなり、「知らない人に迷惑をかけている」と云って、夜中に突然、帰ると云い出し、「電車も原発事故で通っていないし、クルマで送りたくても、高速が通行止めになっているから、山道を通って帰らないといけないので、今は、雪道を通らないといけないから帰れないよ」と話すと、「じゃあ、長男の家に行く」と云って、ウチ(長男の家)に泊まりに来ます。
医師に先日、相談に行きましたら、「義姉の家に行ったり、ウチに来たりと環境を変えるのは良くない。家族はもっと毅然とするべきだ」と、ひどく怒られました。
でも、今日も結局、色んな事があって、ウチに来ています。
アルツハイマーを患っている人は、皆、昔のことはよく覚えています。だからこそ、なぜ、南相馬に帰れないのか、とことあるごとに聞かれます。医師は、「説得は必要ない。ごまかすだけだ」と云います。今は、原発事故の影響で放射能が高いから、長くいられないんだよ、と1日に何十回と「ごまかし」ます。
忘れることや、私たちの知らない何十年も昔のことを話したり、よく分からないことを云ったりするのは、対処できるのです。でも、「帰る」「帰れないんだよ」を繰り返すのは、お互いに限界に来ています。
原発事故で避難されている方が、認知症が悪化した、という報道をよく耳にします。
皆さんは、どの様に対処されているのでしょうか?
申し訳ないけれど、医師にとってもレアケースなんだと思います。
本当に、「帰る」「帰れない」の繰り返しに、お互いに、限界にきているのです。
どうか、アドバイスをいただけたら、嬉しいです。

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