朝日訴訟
岡山県の療養所に長期入院中の重度の結核患者・朝日茂さんが、生存権の保障をもとめて、1957年に生活保護行政の改善を要求した訴訟です。当時、朝日さんは生活保護法による医療扶助と生活扶助を受けていましたが、支給される日用品などが十分ではなく、厚生大臣を相手に、憲法25条「健康で文化的な生活」の保障と生活保護法に違反すると訴えました。人間にとって生きる権利とは何かを問いかけた「人間裁判」と呼ばれ、国民的な訴訟支援運動に支えられ、東京地裁では勝訴の判決を得ました。しかし、続く東京高裁では逆転敗訴、最高裁に上告しますが、上告後に朝日さんが死去。訴訟継承を望む遺族の申し出は認められず、1967年、勝訴を勝ち取ることなく訴訟はやむなく決着を迎えました。社会保障を権利として認識され、生活保護史上だけでなく社会保障史上にも大きな影響を与えた大きな意味をもつ裁判であったといえます。