No.48050 言葉かけのむずかしさ

No.48050は質問(相談内容)です。

返信する
No.48050:言葉かけのむずかしさ[unitaco]ID:ZkDqojkQ 2012/04/28 09:37
とにかく、気難しいご利用者がおります。90代の独身の女性です。新人いびりがはげしく、私も仕事に就いて2カ月ですが「おまえは教養がない。何しに来た?」自分でナースコールを押しておいて、怒鳴ります。こちらとしては、傾聴をして何とか寄り添うケアを心がけて日々あたっていますが、精神的に立ち直れない日々です。先輩職員は、仕方ないと言ってくれますがいつまで続くのかと思うと、仕事が負担になってきます。技術なら勉強したり方法はありますが、話さない訳にもいかないのでまいります。10人のご利用者のいらっしゃるユニットなので、ナースコールが頻回なこの方に振り回され職員が少ないとほかの方のケアができません。
本当に精神的にまいっています。

発言一覧

以下、No.48050の質問に対する回答です。

 48050: 言葉かけのむずかしさ [unitaco] ID:ZkDqojkQ 2012/04/28 09:37
 └◇48055: Re: 言葉かけのむずかしさ [(´・ω・`)] ID:ErMdPj/T 2012/04/28 13:22 評価
  └◇48058: Re: 言葉かけのむずかしさ [unitaco] ID:ZkDqojkQ 2012/04/28 19:42 評価

返信する
No.48055:Re: 言葉かけのむずかしさ[(´・ω・`)]ID:ErMdPj/T 2012/04/28 13:22
ナースコールを頻回に押す高齢者の中にも、色んなタイプに別れます。
人恋しくて押す、話し相手が欲しくて押す、用件があって押す、
職員の反応を見たくて押す(優しい職員かそうではない職員か見極める)
押したけど押した理由を忘れているタイプ等・・・。

まぁ、色んなタイプの方がいるのですが、罵声や暴言等は確かに不愉快
な事ですが、怒りの矛先は目の前にいる職員に対してではなくて、
本当は家族や自分に対し出ている事の方が多いです。当たる人がいない
当たる場所がないからこそ、職員がその身代りとなってしまいます。
(私たちが苛々して物にあたったり身近な旦那さんや子どもにあたるのと
同じ。)

利用者さんの性格や認知の有無も関係していますが、怒鳴ったら
「 何で怒鳴るの?」 何しに来た?と言われたら、「 呼ばれたから来た。」
と。お前は教養がない・・・「 教養があるから呼ばれて駆けつけました!」
と、オウム返しで応対します。

ご家族が見たら、また、これを呼んだら不愉快に思うかもしれませんが
私の場合は、うるさい女だ!下品な女だ!生意気な女だ!可愛くない!と
患者さんに言われる事がありますが、「 全く口数の減らない爺さんだ。」
「 私は可愛くないけど、婆さんも同じで可愛げないなぁ。」とハッキリと
言っちゃいますよ。

俺はいつ死んだって良いんだ!と叫ぶ爺様に、「 じゃ何で入院してる?
いつ死んだって良いと言うなら入院する必要ないでしょ!本当に死んでも
良いと思っている人は、わざわざ高いお金払って入院なんかしない。
死にたくないから入院してるんでしょ!」と説教たれます。
言われっぱなしでは終わりません。

ナースコールがあるたび居室に訪問する事が寄り添うケアだと思っている
なら、それは違うと思いますよ。自分でコールを押しておいて、それすら
忘れて怒鳴るようならば、3回に1回の割合で居室に訪問するとか、用件を
思い出したら呼ぶよう促してあげて下さい。何で呼んだか忘れてしまい
結果的にイライラして怒鳴り散らす事もあるので、最初はしばらくお待ちくださいと
待たせておく。

そしてコール以外で余裕がある時、居室を訪問しコミュニケーションを
取る事で頻回なコールも減ってきます。また、unitacoさん以外の職員も
出来るだけその利用者さんと多く関わって行く事でコールは確実に減らせます。
もしかしたら一人ないし二人で10名みているかもしれませんけど、一人だと
しても10名は見れない人数ではありませんから、何を言われても聞き流す
スキルを身につけて下さいね。

返信する
No.48058:Re: 言葉かけのむずかしさ[unitaco]ID:ZkDqojkQ 2012/04/28 19:42
回答ありがとうございました。
今まで、他施設で仕事をしてきて自分自身こんなに打たれ弱いと思わないほどへこみました。言われてしまうときっと、私の表情が硬くなってしまい言い返せないと察知されていたのだと思います。言い返してはいけないとも思っていました。利用者のその時の状態をわたって、言い返して良いと判断した場合は、そうします。寄り添うばかりが介護ではないんですね。言い返すことばかりにとらわれず、一人ひとりを理解することを忘れず、やってみます。